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ネットの品格
ネットの品格 「即時性」はメリットなのか あなたの名誉はあなたのものではない インターネットはそうめんに勝てない 情報弱者は「祭」の供物か ネットと文化 検索エンジンの主権争いは宗教戦争 ディスプレイが紙に置き換わることはない ビッグブラザーはまだキンタマを持っていない 絵文字はどこへいく\(^o^)/ 「らき☆すた論争」は自由なチャンネル権争い サイバーカスケードに梯子を外される政治家たち 新しい三権分立 2ちゃんねる 告解室としての2ちゃんねる 2ちゃんねるは「読む」ところではない 2ちゃんねるはマスコミの一形態 まとめスレの書籍化は帝国主義にもなる 情報とカネ 新作映画のダウンロード販売は不可能か メディアシテラシー 判断を保留する勇気 炎上って、燃え上がる材料が集まったら、もう止めどなく燃焼するでしょう。
みんながやってるから(匿名だからじゃなくて、みんながやってるからだよな?)ついつい尻馬に乗ってしまいがちだけど、良識ある人は事実関係の完全な確認がとれるまでは、行動に移さないと思う。 移すべきじゃないと思う。 陰謀論って、気にくわないことがあったら気にくわないヤツのせいにするってことじゃないですか。 つまり、判断材料があってから犯人を特定するんじゃなくて、犯人を決めつけてから犯行を推論するものでしょう。 それは結局、思い込みによるリンチであって、正当な事実関係のステップを踏んだものではない。 嫌いなヤツをつるし上げるのって人間にとってかなりのカタルシスなんですよ。 漫画やドラマでも本当に悪いやつが、ブチのめされるところに爽快感があるわけじゃないですか。 判断力の乏しい人間は無能だと思われるし、優柔不断な人間が嫌われる。 意思決定は早いほど効率がよくなるし、好き嫌いのハッキリしている人はわかりやすいので周りの賛同を得やすい。 しかし、ネットでは思いこみによる情報が、確認された正しい情報を上回る早さで出てくる以上、意思決定や好き嫌いを早く決めてしまうのは危険だ。 ネット社会では、判断を保留する勇気が必要だと思う。 > 新しい三権分立
グーグルやヤフーの画像検索から排除されていた初音ミクが復帰したという。
しかし、なぜ今まで消されていた(含まれていなかった)かいう説明は果たされていない。 説明責任は果たされていないのだ。 例えば、鉄道のダイヤが乱れた場合は必ずその原因が明らかにされ、事件・事故の再発を防止するような対策が発表される。 公共性の高いインフラなんだから当たり前の話だ。 いつ事故が起こってダイヤが乱れるか分らないような列車になんか誰も乗りたがらないし、そんな鉄道会社は誰も許さない。 これからのネットでは、新聞各紙の社説を読み比べるように、様々な検索エンジンのバイアスを検証することが必要とされるだろう。 つまり検索エンジンを監視するメディアリテラシーが必要となってくる。 ネットに監視されてるマスコミは、おかえしに検索エンジンを監視するべきではないか、と思う。 もっとも検索エンジンを作っている会社も私企業であり、その機密を外に漏らす訳もないというのもわかる。 しかし、SEO対策なんてのが仕事として成り立っている位なんだから、せめて各社の検索エンジンのバイアスぐらいは知らしめることはできるのではないかと思う。 既存の三権分立が、司法・立法・行政ならば、今後のネット社会では、マスコミ・検索エンジン・行政の三権分立が望まれるのではないかと思う。 ネット社会の新しい三権分立である。 グーグルは中国当局に屈して検閲に協力するようになった話ばかり喧伝されるが、グーグルパブリックポリシーブログでは政治的に独立しようとしていて、アメリカの電波政策に口出ししたり、アル・ゴアをロビーストとして雇ったりしているそうだ。 ちなみに2ちゃんねるは行政からは距離を置いているものの、一応独立している。 司法については、彼らがネット社会の速度に追いつくのを待っているという段階だろう。 こういった力関係を把握していくことは、ネット社会を生きていくうえで絶対必要だろう。 例えば、戦中の日本では、マスコミが戦争を煽りまくったおかげで、軍部も負けている戦況についてウソの大本営発表をせざるを得なくなったりしているのだ。 当時よりは賢くなっているとはいえ、集団で暴走すると誰にも止まらなくなる国民性は変わっていない。 政治を疑い、マスコミを疑い、検索エンジンを疑い、自分を疑うことを忘れずに。 奥崎謙三という人をご存知だろうか?1920年生まれ、太平洋戦争でニューギニア戦線に参加した後、殺人事件を起こしたり、昭和天皇にパチンコ玉を打ち込んだりした難儀なアナーキストだ。 『ゆきゆきて神軍』というドキュメンタリー映画(1987年都内のマニアックなオフシアターで公開)に出演し、当時の人々に鮮烈なショックを与えた。 何しろ映画の内容がすごい。 ニューギニアの部隊で部下を射殺した将校にその確認をするという内容なのだが、そのうち部隊内で飢餓から食人まで行っていた話まで出てくるのだ。 Youtubeでその奥崎謙三の政見放送をみた。 『落選確実の私が借金までしてしょうこりもなく出馬したのは、ここで演説がしたいがためであります・・・。』 テレビの政見放送には自主規制がない。 公共の福祉に反するものとして、差別用語や 表現の自由が完全に達成された世界なのだ。 無知の知という言葉があるが、自分を狂人とみなしている狂人は果たして本当に狂人だろうか。 そんなことを思わせる映像だ。 当時のテレビがかろうじて自主規制を逃れたのがNHKの政見放送のみだが、現在のインターネットでは基本的に管理者が誰もいないため、自主規制をする必要はない。 過激な演説というと、最近では維新政党・新風の瀬戸弘幸があげられるだろう。 ニコニコ動画にあげられた街頭演説の映像をみると、いわゆるネット右翼そのまんまの主張を過激に繰り広げ、インターネットにこそ真実があると語っている。 ネット、特に2ちゃんねるで瀬戸弘幸を応援する声が多く上がったものの、2007年7月29日の参院選では落選している。 私はこの新風・瀬戸弘幸とネットの一連の流れをみて、過去のある政治騒乱を思い出していた。 加藤の乱である。 加藤の乱とは、2000年11月森政権下で失言を繰り返し、支持率が低下した森首相を不信任としようとした加藤紘一を、自民党幹事長を務めていた野中広務らが、必死の工作で切り崩したという話だ。 当時の森内閣は五人組による不透明な政権の誕生、神の国発言、中川秀直官房長官のスキャンダルによる辞任などで、国民の支持率は低迷を続けていた。 加藤紘一がこういった声に突き動かされたのは、主にインターネットからだった。 彼のホームページに届くメールやコメント、そして2ちゃんねるにみられる書き込みが彼を後押ししたという。 だが、加藤の不信任決議案は結局否決され、その後政治の表舞台から消えることを余儀なくされた。 瀬戸弘幸と加藤紘一は政治的な方向性は全く違うが、インターネットの意見に翻弄されたという点では非常によく似ている。 インターネットはその即時性・匿名性からサイバーカスケードという現象をよく起こす。 言論が一方向に加熱し、わっと膨らむ現象だ。 一種のマスヒステリーであり、ブログの炎上や2ちゃんねるの祭りなどもこの一環である。 しかし、サイバーカスケードは燃やし尽くすと実体がなくなっていくという特徴もある。 政治に求められるのは結果だ。結果を出すために、政治家は行動する。 しかし、実際に行動したところで、結果が出なければ煽っていたネットの人々は霞のように姿を消してしまうのである。 加藤紘一は「加藤の乱」の後、全国の支持者にお詫び行脚に行ったそうだ。 そこで感じたのは、 『いわゆるネット族というのは、選挙的には影響力が低い層なんです。』ということらしい。 瀬戸弘幸のほうもブログ荻上式BLOG「■「ニコニコ自演騒動」のさなかに垣間見た「ネット街宣」のすごさ」によると、ニコニコ動画のコメントには少数の人間が大量のコメントを書き込んでいる様があると報告されている。 ネットはロングテールを可視化させた。 マイノリティの存在をしっかりと見せつけた。 しかしリアル社会全体を通してみたその絶対数は少なく、影響力も限定的なものなのではないか。 そんな感じがしている。 < 前のページ 次のページ >
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